2019年月報11月号巻頭言「暗闇の中でできたこと」吉岡恵生

「ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげた」。(ヨナ書2章1-2節)

日本における台風、カリフォルニアにおける山火事、自然災害がもたらす被害に心を痛めています。被災された方々の上に、主の慰めがありますように。

カリフォルニアにおける山火事は、PG&Eの電線に強風に乗って舞い上がった枯れ草が当たり、火花を散らして乾燥地帯に落ちることによって発生していると言われています。そのような中でPG&Eは、こうした現象を極力抑えるために、計画停電を実施しています。シカモア教会も、また私が住む牧師館も、10月末の土曜日から月曜日まで3日間、計画停電実施区域となりました。

3日間も全く電気が使えない中、携帯電話の電池は切れ、パソコンの電池も切れ、もちろんインターネットもテレビも使えず、夜は真っ暗な中ロウソクの光を見つめて過ごすことになりました。電気がない生活というのはいかに不便なものかと思い知らされると共に、いかに私の生活が電気に依存しているのかを、改めて思い知らされることになりました。昔の牧師は、説教原稿はすべて手書き、また教会員との連絡は一軒一軒家を訪問していたわけです。それなのに私は、パソコンが使えなければ説教が書けないと思い、携帯が通じなかったら教会員と連絡も取れないと思って悩んでいました。電気に依存する便利な生活というのは、ある意味ではその便利さゆえに、なんと人の行動力を失わせているものかと思いました。

真っ暗な夜に息子が言いました。「ねぇ、何する?何もすることないじゃん」。私はそこで、旧約聖書のヨナ書の物語を思い出しました。大きな魚に呑み込まれたヨナは、真っ暗な魚の腹の中で三日三晩神に祈ったのです。私は息子に言いました。「確かに、電気がないと何も見えないし、何もできないように感じるね。テレビも、ゲームも、インターネットもできない。本も読めない。でも、何もできないと思うこの真っ暗な中でも、できることがあるんだよ。それは、ヨナさんのようにお祈りすること」。私はそう言ってから、子供たちと一緒に祈りました。「神様、山火事の被害が大きくなりませんように。日本の台風の被害に遭われた人、また世界中の悲しんでいる人を助けてください」と。真っ暗闇の中でできたこと。それは、神様に祈ることでした。

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